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『キミ、これを飲みたまえ』

  ひとりの紳士がそっと青年に差し出したのは、
一杯の温かいコーヒー。

  紳士の目は、憂えていました。
青年の目はうつろで、顔に赤味を帯び、
息はアルコールの臭いがプンプンしていたのです。

  当時のロンドンの街では、このような青少年が
そこかしこに見られました。

  現代と違って、ヨーロッパの水が安心して
飲めるものではなかったので、ワインやビールが
日常的な飲みものとして,家庭にも街にもあふれていたのです。

  その結果、青少年のアルコール依存症が
大きな社会問題となっていた時代でした。

  『この国がダメになっていく!』
  おとなたちの多くが真剣に思い悩んでいました。

  そこに、はるか遠くの国アラビアから、
コーヒーが伝えられてきたのです。

『この飲みものは、胃にも良く作用するようだ』
『いやそれだけではない。心の働きも高めるし、
記憶力も増す飲みものだそうだ』

ラーゼスやアビセンナの著書によって、
コーヒーの薬効についての知識を持っていた
医師たちは、コーヒーを青少年の
アルコール依存性追放に用いようと考えました。

時は1637年、翌年1638年になり、やっと砂糖を
入れたものが見られるようになります。

  それからわずか数十年、コーヒーがアフリカ南端の
喜望峰回りで定期的にヨーロッパへ入るようになると

イギリスのオックスフォード、次いで1652年ロンドンに
コーヒーハウスが生まれ、さらに1657年パリ、
1683年ウィーンにも開店しヨーロッパ全土に
またたく間にコーヒーは広まりました。

イギリスの有名な哲学者フランシス・ベーコンが
1627年に最後の著作といわれる
       『森の森』
(Sylva Sylvarum:or a natural history in ten centuries)

の中で、『トルコでは"Coffa"というものを飲んでいる。
これはやはり同名の豆を材料にして作ったもので、
(中略)コファ・ハウスという、わが国でいえば酒場の
ような場所で人々は飲んでいる。この飲み物は
頭と心を休め、消化を助けるのである』と書いています。

ヨーロッパへ上陸したのは、ベーコンが
書いているようにいわゆるトルココーヒーだったようです。
つまり、コーヒーの豆を黒く炒って、細かく粉砕されて、
水から時間をかけて煮出したものでした。

粉は現在のように粗挽きしたものではなく
乳鉢と乳棒ですりおろして微紛にしていました。
1620年にメイ・フラワー号がアメリカに
運んだ荷物の中にも、このコーヒー用の乳鉢と乳棒が
あったということです。

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