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珈琲の”優しさ”をお届けします♪
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太平洋戦争終結直後の昭和22年の春から夏にかけて起こった ヒトラーに送り損ねたコーヒーのおかげで勃発した 群馬コーヒー事件・・・って、なに? コーヒーは戦時下では特殊物件で隠匿物資でした・・・ (よーするに、ひた隠しに隠していたという状態) 昭和13年から戦時体制の強化により輸入規制がはじまり17年に 完全に途絶え、25年の再輸入までなんと8年の歳月を要しています。 ほら、なんせ野球ですらストライクとかボールとかいう言葉も 使ってはいけないくらいの時期ですから当然かも知れませんね。 ところがナント戦争初期に日本軍の手でジャワそのほかの南方地域から 国内に運び込まれたコーヒーの生豆が相当量、各方面に貯蔵されていたのです。 それが軍の解体によって一部は府県に移され、あるいは関係者に放出されて ヤミ屋やブローカーが暗躍するとともに、全国珈琲統制組合が 払い下げ交渉に乗り出しました。 ここに日本史上最大の珈琲豆の争奪戦が開始されたのです!! なんせ、輸入が完全にストップしてからすでに5年も経過しており戦後の 敗戦国に物資が残っていたこと自体がかなりビックリもんだったんでしょう。 事の発端は、長野県が農林省に『コーヒー豆の公示価格』を照会したこと からで、 『まさか、コーヒーが国内にあったなんて!?』 当然、このことに気が付いた人たちはひと儲けを狙って 八百屋さんも薬屋さんも参加してのものすごーい珈琲豆争奪戦 になってしまったというおはなしです。 業者やブローカーに持ち去られ各地に200t前後あったはずのコーヒーが 組合へ払い下げはの長野で60tで、最後に発覚した群馬に至っては 在庫110t(この時点ですでに120tは他に払い下げられていました)のうち わずかに5t・・・・・(ちょっと、情けないかも、トホホ・・・) しかも、代償として1tにつき 『地下足袋1500足、自転車400台、タイヤ150本、チューブ900本、塩1t』 のうち1品目の提示、違約保証金25万円が要求されました。 ここまでくると、さすがにこりゃ”賄賂”っぽくない?? 結局、組合はこの条件に応じて払い下げを受けることを決定しました。 この払い下げが価格統制法違反事件となり、当時の群馬県知事、経済部長 および、担当事務長は解雇され業者たちも多数取り調べを受け刑を 受けたのです。 貯蔵先は、群馬・長野・大阪・岐阜・滋賀などの各県でジャワ・ロブスタ種 だけでなく中南米産の豆があったことが発覚!! 実はこの話題の群馬と長野に貯蔵されていた分は日本がヒトラーに 贈呈するためにシベリア鉄道で輸送すべく大連まで運んだのですが 輸送困難のために国内に持ち帰ったものだったそうです。 |
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